プラダのポーチ・プラダの歴史
プラダは皆さんもポーチなどで、ご存知の方もいるかと思います。
プラダ(PRADA)は、イタリアのファッション企業で、数あるファッションブランドの一つです。
イタリアのミラノに本部を構えています。 また、プラダは、最も影響力のあるファッションブランドの一つで、
世界中に店舗を展開すると言った、高い実力を持っています。
そんな、プラダの歴史は 1913年、マリオ・プラダ(Mario Prada)が、
ミラノに皮革製品店Fratelli Prada(プラダ兄弟)を創設。
世界から珍しい材料や上等の皮を集め、イタリア職人の技術によってアイテムを製作していた。
これらが、ブルジョアの間で評判になり、イタリア王室の御用達ブランドとなりました。
1958年、創業者であるマリオ・プラダが死去。マリオの娘がビジネスを引き継ぐが、
ブランドは迷走状態。長期間の低迷期が続きます。
1978年、マリオの孫娘であるミウッチャ・プラダ(Miuccia Prada)が、オーナー兼デザイナーに就任します。
マリオが旅行用カバンに利用していた、工業用防水ナイロン素材"ポコノ"製のバッグが製作される。
また、1996年には、逆三角形のロゴプレートを付けたポコノ製品が大きく展開し、ビジネスは発展。
1999年、 LVMH社と合弁会社を創設する。
経営難に陥っていたファッションブランド"フェンディ(Fendi)"を買収するが、フェンディの経営復興を達成出来ずに、
2001年に全株式をLVHM社に売却。 そしてプラダは、今でもこの時の負債を抱えています。
また、1996年には、グッチ(Gucci)株を買収するも、 1999年までに全てをLVMHに渡しています。
さらには、同年に"ヘルムート・ラング(Helmut Lung)"、 "ジル・サンダー(Jil Sander)"を立て続けに買収するも両者とも手放す。
今日のプラダグループの総帥はミウッチャ・プラダの夫、パトリッツィオ・ベルテッリ(Patrizio Bertelli)です。
ベルテッリは広くビジネスを展開すると共に、ヨットの国際レースであるアメリカスカップにも挑んで来た。
その中でも、2000年大会ではアメリカスカップへの挑戦者決定戦、 "ルイヴィトンカップ"で優勝するも、アメリカスカップ本戦で敗退。
ちなみに、2007年大会ではルイヴィトンカップの決勝で負け、アメリカスカップへの挑戦目前で敗退する事に。
そこでベルテッリは2007年大会をもって挑戦の終わりを表明する事で、
結局アメリカスカップを手には出来なかった。
また、挑戦期間中は、自らもクルーとし、愛艇「ルナロッサ号」に乗船するベルッテリの姿を海上で見る事もあった。
ニューヨーク-ビバリーヒルズ-東京(港区-南青山)と言った、
世界三ヶ所に、旗艦店の"エピセンター・ストア"が存在します。
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